「由緒書言上書」に、『箭文一通 大阪龍城伺』とある。
教如上人は、石山合戦の際の軍功を賞し、「累代其方昇進可為望候」(天正四年五月三日 大津教信宛)と昇進を約し、また討死したものに名号・詠歌を寄せる(天正四年四月十一日 西光坊願照宛)などの配慮をしている(「教如上人消息」)。善乗に与えられた箭文が現存しないのは残念であるが、当時信濃長命寺は、康楽寺末として石山合戦に参加しており、天正五年には康楽寺が石山本願寺救援のために兵粮二一〇俵を送っているので、長命寺善乗に箭文が与えられたことに不自然さはない。
当時の教如消息から椎察して、善乗に与えられた箭文は、彼の龍城の際の働きを認め、のちの昇進を約束したものであろう。おそらくこの箭文は、慶長五年の一家免状の前提になるものであろう。