不識院殿前関東管領権大憎都法印真光謙信神儀
縦30.0cm 横7.5cm
上杉謙信は、米沢上杉氏の祖である。
謙信(当時長尾景虎)は、永禄四年(一五六一)閏三月、鎌倉の鶴岡八幡宮において上杉憲政から上杉氏の名跡と関東管領職を譲られ、憲政の一字を受けて上杉政虎と改称した。その後将軍義輝の諱を受けて上杉輝虎と改名、天正二年(一五七四)には剃髪して法印大和尚に任じられ謙信を号した。
関東平定を目指した謙信であったが、志を果たすことができないままに、天正六年(一五七八)三月十三日に永眠した。 長尾家の菩提寺は、越後春日山にあった曹洞宗林泉寺であったが、上杉氏の名跡を継いだ政虎は、真言宗に帰依し、高野山無量光院清胤と交誼があった。このため謙信の葬儀は、真言宗の大乗寺長海が導師を勤めている。米沢に移された謙信の遺骸は御堂に安置され、真言宗の法音寺・霊仙寺以下の能化衆・御堂衆によって勤仕されて来た。
「上杉謙信公位牌」については、御堂が長命寺に移された際に当寺に安置されるようになったものか、山浦上杉家から長命寺に嫁いだ際のものか、今後の研究を待つ。