「証券 長命寺什物」
「點檢状」
明治九年(一八七六)五月、長命寺什物四点に対し、本山事務所長石川舜台が鑑定を与えている。
石川舜台(いしかわしゅんたか)は、二十二世現如を輔け、大谷派の近代化に貢献したことで高く評価されている。彼の事績としては明治五年(一八七三)法主現如とともに欧米視察を行ったこと、学寮の改革、翻訳局・編集局の新設を行い、北海道及び旧薩摩領への布教、中国・朝鮮への海外開教などが挙げられる。長命寺什物への鑑定を行った明治九年五月は、石川舜台が鍛初に寺務所長となった年である。
舜台は、宗学・仏教学・漢学のほか耶蘇教にも通じ、広い視野を待った人物であった。しかし、石川舜台が行った鑑定と現代の研究者による調査の間には、作成された年代などについて違いのあるものがある。一点・一点については、既に紹介された文献を通じて私見を述べているが、例えば『祖師時代の鑑定』とある「聖徳太子尊像」は、平松令三氏によって、『像のプロポーションは室町時代的であるが、垂髪太子像に中世的な泥臭さが整理されて近世的な感覚で描かれており、彩色の色調も近世的であるので、近世初期の作品であろう』と紹介されている。(「真宗重宝聚英」)
鑑定当時の作品と現存するものとの間に違いがある可能性が皆無ではないが、江戸時代から大正期にかけて記録された長命寺の什物に他の鑑定結果に該当するものがなく、寺伝とも一致したものなので、現段階では「聖徳太子真影」及び「十字名号二僧御絵」と『澄券長命寺什物』にある「聖徳太子尊像」 ・「十字名號」は同一のものと考えておきたい。
石川舜台と現代の研究者との間の意見の相違は、明治時代の研究と現代の研究との差、特に絵像などを美術史と歴史の分野から分析する研究結果によるものと考えておきたい。