教如上人像

「教如上人像」 

「教如上人像」

絹本著色 縦102.0cm 横49.0cm

 

 真宗では、布教と門徒の本山への結集をはかるために、本山法主の画像を下付する慣例がある。蓮如が布教のなかで、「始祖親鸞聖人」の御影を授与し、門徒との本末関係を強化したのが初期の例である。

 幕藩制下における仏教諸宗派の統制のなかで、寛永年中(一六二四〜四四)に第一回の本末帳の作成が行われ、檀家制度の基となった。真宗においても従来の掟条や、新たに幕府の方針にそった制条を発して坊主・門徒に規制を加えている(慶安の掟条)。このような趨勢のなかで、道場の寺院化が進み、寺号が許可され、それまでの名号又は絵像の本尊が木仏に改められた。ついで寺院としての形を整えるために、宗祖・聖徳太子・七高憎・前宗主の影像を一定の基準にしたがって安置することが義務づけられた。

 長命寺の教如像は、このような慣行に先行して、寛永十五年(一六三八)五月九日に長命寺了祐の願いによって宣如が授与したものである(井上静教「公私百般記録」)。

 長命寺にはこの教如像の他に、嘉永三年(一八五〇)に「教如上人寿像」が下付されていた。