伝覚如筆「祖師伝記」

伝覚如筆「祖師伝記」 

伝覚如筆「祖師伝記」

縦25.2cm  横17.3cm

  

伝覚如筆「祖師伝記」 奥書云

 

  「祖師伝記」は、「御伝鈔」とも呼ばれ、覚加の「親鸞伝絵」のなかから詞書きだけを別出したもので、報恩講に際しては本書の拝読が行われる。

  「親鸞伝絵」は、この本ができ上がった永仁三年(一二九五)ごろから書写され、古写本として、高田専修寺本(重要文化財・以下重文)二巻、東本願寺本(重文)、西本願寺本(重文)の三系統の存在が確認されている(柏原祐泉「親鸞伝絵」「国史大辞典」)。また「親鸞伝絵」の詞書である「御伝鈔」は、西本願寺本系統写本が滋賀県明性寺蔵(貞治二年・一三六三・写)と東本願寺本系統写本(同年代写)が大谷大学に蔵されている(上巻のみ)。

 長命寺に伝わる「祖師伝記」は、奥書に

 「干時永仁第三暦應鐘中旬第二天

  至脯時終草書之篇畢

     書工法眼淨賀 号康 樂寺」とあり、また

「康永二載 葵 未 十一月二日 染筆訖

               桑門宗昭
               釋 宗昭

       書工大法師宗舜 康楽寺 弟子 

とある。

 淨賀は、康楽寺開基西仏の子で、同寺二世であり、本願寺覚如に随従していた。永仁三年(一二九五)の「親鸞伝絵」は、覚如が詞書を、康楽寺淨賀が絵の部分を担当している。康永二年の覚如(宗昭)の名とともに画工として名がある宗舜は、康楽寺三世で絵にすぐれ、淨賀に続いて覚如に仕えている。

 この「親鸞伝絵」執筆にあたり、本願寺覚如は、康楽寺に逗留し、西仏房の遺物である「日誌」をもとに康楽寺淨賀の絵で「親鸞伝絵」の制作にあたったとされており、康楽寺には「親鸞聖人伝絵」四軸が残されている(「康楽寺本堂再建記念誌」)。 長命寺本は、その奥書によると、書写年代としては古いものの一つであろう。明治九年(一八七六)五月本山事務所長石川舜台、昭和八年(一九三三)四月法宝物集覧事務局長井沢勝什によって、覚如法主真蹟であることが証明されている。 この本が、長命寺に伝来した経緯は不明であるが、長命寺の開基伝承から開基とされる淨証を経て、長命寺に伝えられた可能性が考えられる。 康楽寺では、西仏−淨賀−宗舜−円寂と相承したが、以後十三世淨専までの世代は不明である。したがって、康楽寺開基西仏房淨寛から八代目の淨証(長命寺開基、『謹書』)の名を康楽寺の世代のなかに見出すことはできない。しかし、長命寺開基の伝えが裏付けされれば、覚如筆の 「御伝鈔」が長命寺に伝えられているのも不自然ではないように思える。今後の研究に期待したい。