見真大師真影

見真大師真影

「見真大師真影」  一幅

絹本著色  縦95.0cm  横46.5cm


 

真見大師真影表裏

 当寺に伝わる文化財のなかで、授与された年月が確定できる最初のものである。
文禄元年(一五九二)顕如が没したあと本願寺法主職を継承していた教如は、翌二年十月弟准如に跡を譲り、退隠している。慶長七年(一六〇二)二月、家康から京都六条の地を寄せられ東本願寺を設立することになるが、この間教如は、のちに東本願寺末となる寺院に対して積極的な働きかけをし、諸寺院側でも寺地を寄進したり、「志の銭」を届けるなど教如を援助する動きが見られる。

 

 長命寺善乗の願いによって、慶長二年(一五九七)教如上人の裏書きのある「見真大師真影」一軸が下付されたことは、 当時長命寺善乗が教如側であったこと越後に移ったのちでも長命寺の本拠は、信州水内郡徳永郷井上であったことの証左になる点でも貴重なものである。